分人

 さいきん興味のわく本を教えてもらう機会があってそれを読んでみた。平野敬一郎の”私とは何か――「個人」から「分人」へ”というタイトルで、分人という概念で個人を捉えることを提起していた。そんな「分人」そのものについては書かず、これまでぼくが読んだもの、知ったものとリンクしていた気がするので並べておく。


荒野のおおかみ - ヘッセ
"胸や体はいつだって一つだが、その中に宿っている魂は二つ、あるいは五つでなく、無数である"
 以前に友達の前で一貫性を欠いたことを言ったときに、これを言ってごまかしたことがある。そいつはヘッセが好きだったから納得してくれた。
 この書き方だと「相手によって」という条件に限らず、時と場合によって表に出てくる魂が変わることもあるのかとも思うが、それでも「個人」というのが一つの特徴のみを持つという考えには反している。


ブリタニカ百科事典
"性格とは、気分、態度、意見、対人的態度を含む思考と感情と行動の癖で、遺伝や学習の結果である。性格とは個人差のことであり、環境や社会に対する関係を観察すると把握できる"


ラルフ・ウォルドー・エマソン
"他人とは、自分自身の心を読み取ることのできるレンズである"


アンドレ・ジイド全集〈第14巻〉 - アンドレ・ジイド
"これに対して、ドストエフスキーはわれわれに何を示しているのでしょうか。自分ら自身に対して一貫した関係を保つということをなんら意に介さずに、自分らの固有の性質が受容しうるあらゆる矛盾、あらゆる否定に喜んで降伏する人物たちをです"


オルテガ―人と思想 - 渡辺 修
"ある物の実在は 、それが見られる視点がどこにあるかとは無関係に、それ自体が独自にそこにあるのだ、とする考え方が昔からあったが、それは誤りだとオルテガは断定する。実在は風景のように、すべてが同等に真実で同等に無限のパースペクティブである。唯一無二であると称するようなものが、虚偽のパースペクティブである"


異邦人 - カミュ
 この物語の主人公ムルソーは、殺人による裁判にかけられ死刑となった。ムルソーは人の死を悲しまない残忍な人物として一貫性を押し付けられた。
 ”私とは何か――「個人」から「分人」へ”では下記のような文があって、読みながら裁判で人格を押し付けられていくムルソーを思い出した。
”社会としては、できるだけ不確定要素を取り除きたい。個人が首尾一貫していなければ、社会の基本となる構成要素が不安定になり、方々で機能障害が起きてしまう”
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